2009年 第12回日本語スピーチコンテスト3位入賞

『両親のいない子ども』 ネン・サイハー

みなさんは生まれてから、今までなにか悲しかったことはありますか。
もし悲しいことがあったら、みなさんはどんな気持ちになりますか。
みなさんはいろいろなことを考えると思います。そして悲しいことは 2日3日くらいで忘れることもあるし、一生忘れられずずっと心に残 っていることもあります。忘れたくても絶対に忘れられません。

これから私の悲しかったことについてお話ししたいと思います。
私は生まれてから4才まで両親と住んでいました。父は軍人でした。
そのときカンボジアは戦争をしていたので、私の父は戦争で亡くなり ました。
母は私と住んでいました。ある日、母は私を捨てて遠いところへ行っ てしまいました。そのときから叔母が私を育ててくれました。
叔母は親切な人でした。いつも自分の本当の子どものように面倒を見 てくれました。
しかし叔父は不親切な人で、いつも私をいじめていました。

今でも覚えていることがあります、叔父は私を米の袋に入れてパイナ ップルの木がたくさん生えていることころに投げました。他にも私を 牛のえさ箱に入れて魚を取るためのかごをかぶせました。そして叔母 に見えないようにするためにござを上からかぶせました。
私が11歳の時、叔母は私を孤児院に連れていきました。その時私は 安心しました。

孤児院には子どもがたくさんいました。みんな1つの家族のように生活 していました。私はみんなと遊んだり、ご飯を食べたりました。
孤児院に入ったばかりの私がルールを理解していないとき、ほかの子ど もたちが親切に教えてくれました。そして孤児院では学校に入学するこ とができるし、外国語を勉強することもできました。私は村で学校に通 っていましたが、毎日朝から晩まで牛を森に連れて行き、えさを食べさ せなければなりませんでしたから、あまり勉強する時間がありませんで した。

今は勉強ができて、たくさんの友達がいます。毎日とても楽しいですが 私は時々両親のことを考えると一人で泣いています。
子どもは両親に面倒を見てもらいたいです。そして両親と暮らしたほう が気を遣いません。
私は今でも母に会いたいし、母と暮らしたいです。昔母は私を捨てまし たが、母を嫌いになることはありません。もし母がいなかったら、今の 私はいないからです。

私は小さいとき悲しいことがあったので、これから新しい世界にむけて 頑張って勉強したいと思います。そしてどんなに困難があっても私は生 きるためにその壁を乗り越えていきたいと思います。
将来、私は貧しい子どもや私のような子供などに文房具やお金や奨学金 を援助したいと思っています。人間は貧しくても両親がいなくても、 努力すれば夢を実現できると私は信じています。みなさん、自分のため に頑張って成功に向かって行きましょう。
なぜなら人間は誰でも一生育ててくれる人はいません。大きくなったら 自分でお金を稼いで、社会の中で立派に成長する人になりましょう。